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「Sufi」誌による2012年のパルバティ・バウルのインタビューより和訳(訳責・佐藤友美)

https://www.sufijournal.org/an-exclusive-interview-with-parvathy-baul/

 

マーティン・ハリス(以降M):まずは最も難しい質問から始めましょう。音楽とは何ですか。そしてどこから来たのでしょうか。

 

パルバティ・バウル(以降P):たしかに、難しい質問ですね。本当に答えというものがあるのか、分かりませんが…バウルは、私達は探し求めているが、探し求めているということそのものが、その答えなのだと言います。音楽は全ての存在に、生と死に存在します。

        宇宙が始まった時、Omの音だけが存在したといいます。エクタラ(一弦琴)の音はOmの音です——バウルの歌い手は右手にエクタラを手にして、右耳の近くに掲げます。これがバウルに絶えることなくOmの音を与え、それを通底音としてバウルの声は旅をします。

        音楽は心を開け放ちます。音楽は、今ここで起こっている内的な体験へと導く、超越と変化の媒介になりえるのです。サンスクリットの詩には、「音楽は至高の芸術表現である」という言葉があります。バウルならば、こう言うでしょう。「『かの方』が私の心に来て住んで下さるように、『かの方』を惹き付けるために歌い踊ります」と。

        私達の音楽の伝統では、ほとんどの音楽家はウパーサカ(行者)…特に、ナーダ(音の)ウパ―サカでした。インドでは、音楽は単なるエンターテインメントではありません。偉大な音楽家をエンターテナーだとは誰も思いません。音楽は、神と直に繋がる方法だと信じられているのです。

 

M: どのようにしてバウルの歌い手になったのですか? バウルの音楽の、一体何に惹き付けられたのでしょうか。

 

P: バウルの伝統に初めて触れたのは、16歳の時です。この質問をされると、いつもするお話があります。バウルの歌に耳が開けて、その源であるバウルの道を追求するようになるきっかけになった経験です。その時私は、兄と共に学生登録をするため、シャンティニケタンに向かう電車に乗っていました。私達の車両に、バウルの歌い手が乗り込んできました。彼は盲目で、色あせてくたびれたオレンジ色のクルタを着て、白いドーティを巻いていて、缶でできたエクタラを持っていました。彼の長い爪と長い指がエクタラの弦を弾いた途端、ずっと知っていた何かを思い出し、違う現実の層に運ばれたようでした。彼が歌い始めると、他の人や電車は視界から消え失せました。ベンガル語の歌なのに何も内容は分からなかったけど、とても深い、未知の世界の感触を私に残しました。

        のちにバンクラ地区のグル・ショナトン・ダス・バウルを見た時、その歌舞と、エクタラとバマ(土で作られ、腰に結い付けられる鼓)、そしてヌプル(金属のアンクレット)の演奏に心を打たれました。良い歌手ならそれまでにもたくさん知っていましたが、このバウルの声は心の奥底、身体そのものから出ていました。天空に開けた声でした。バウル行者を間近に観察してみて分かったのは、バウルの歌は、生きている音楽だということです―—哲学と実践が分かたれることなく、手を取り合っているのです。そのコンサートが終わった後も、バウルの生き方に想いを馳せました。たった一つの歌が、生涯をかけた旅にいざなうこともあります。その歌を昼も夜も無く生き、瞑想し、ゆっくりと自身を変容させていきます。これほど完全なものを体験したことはありませんでした。アーティストになりたいと願っていた私は、まさにこの完全さを求めていました。

        師匠のショナトン・ダス・バウルを探しにバンクラまで行った時、コエルボニのアシュラムに辿り着きました。ある春の午後のことで、彼は背が高く、色は黒く、背筋をまっすぐにのばして立っていて、髪は上で丁寧にまとめられていました。服を干しているところでしたが、私を優しげに見つめました。若かった私にはいくらでも尋ねたいことがありましたが、彼はただ微笑んで、昼食を食べたかと言いました。いいえと答えると、あたたかい美味しいご飯を、彼の息子の嫁達、ギーターとモニがごちそうしてくれました。彼は私に休むように言って、後で話を聞いてくれると約束しました。それから15日間彼の傍にいましたが、同じ縁側に座っていながら、私の名前を尋ねることさえしませんでした。15日目になって、市場まで共に行くようにと言われました。市場までへの道で彼は歌い始めました。それから私を見て、「このばか者、繰り返して歌いなさい」と言いました。それで、彼について歌い始めました。それから20年近く、私は彼の教えを受けています。今では彼は90代になりました。(※訳者注——ショナトン・ダス・バウルは2016年2月に永眠)

 

M: あなたはご自分の音楽を、たとえばニューヨークやロンドンの人々がロックだとか、クラシックだとかのコンサートに行くような意味での、パフォーマンスだとお考えですか?

 

P: バウルの歌は、はじめアシュラムで、サトサングという集まりで演奏されました。サトサングでは、バウルの教えや歌に皆で耳を傾けたり、バウルの先人たちの教えを歌や踊りで思い出します。偉大なバウルのヴリンダーヴァン・ゴシャイやニタイ・ケパのコンサートの話を、師匠のショナトン・ダス・バウルやショシャンコ・ゴシャイから聞きました。観客は伝統的な分け方、つまりバウルの歌い手に最も近い前列に行者たち、サードゥやヨーギーが座り、その次がバウルの音楽に通じている人たち。それから、一般の音楽好きや、興味を引かれて来た人たちが座ります。

        バウルは元々農村の集まりでのみ歌っていましたが、タゴールが自身の大学シャンティニケタンで始めた祭典ポウシュ・メラなどを通じて都市の知識人たちにもバウルを紹介しました。バウルはすぐにベンガルのみでなく、世界中に広がりました。バウルの歌は、その愛の歌を通じて心の垣根をなくしたバウルの先人たちの、高度な精神体験を反映しています。人々は、その体験にふれるためにコンサートに行きます。バウルの歌い手は、その歌の内容に本当に取り組んで、そしてバウルの修行に人生を捧げていなければ、本当にバウルの歌を届けることはできません。

 

M: 音楽と精神的な修行の関わりはどんなものなのでしょうか?

 

P: 音楽と精神の修行は、分かつ事のできないものです。インドのヨーギーは、歌うことを神的な愛の体験への手段として重要視してきました。「かの人」の美しさを思い、呼びかけることで、「かの人」を自身の内側に呼び出すのです。それは、自分自身の身体と、その存在理由を思い出すことです。一時間バウルの歌を歌えば、良い気で満たされます。身体、思考、そして魂は、良い想いや音の響きにのみ惹かれるものです。音と呼吸が合わさって、身中の蓮のチャクラを目覚めさせます。バウルの音楽のサーダナ(集中して取り組む修行)に数年取り組んだ歌い手は、まちがいなく身体の変化を体験するでしょう。

        かつてラーマクリシュナ・パラマハンサが言ったように、ヨーガの真理と苦行に到達するのは、心も身体もスピードが速く弱い現代の人間には難しいけれども、もしも純粋な祈りで「かの人」の名前を口にしたなら、その境地に苦労無く触れることができます。神への愛に歌い踊ることは、日常の全ての鎖から自由になり、「かの人」へ全ての感情を向けることの助けになります。

        ハウレ・ゴシャイやポッド、ジャドゥビンドゥ、ラロン・ファキールやパンジュ・シャーといったバウルの先達の詩は、何世紀にも渡って歌われて来ました。バウルの歌を聞いた人は、その詩に真理の存在を感じますが、詩はけして、「これが真理だ」とは言いません。何年も詩に想いを馳せ、瞑想して初めて、何層にも隠れた真意が姿を表すのです。このような言葉の用い方は、「サンディヤ・バーシャー」黄昏の言葉、あるいは秘密の言葉、と呼ばれています。バウルの歌い手にとって、バウルの詩を暗唱できるようになるのはとても大事なことです。そうすることで、数年もすれば詩は歌い手の身体の心に溶け込みます。

        世界中の神秘主義の行者たちの中でも、特に俗世から離れずに人々とも自然とも関わって来た人々は、音楽をその手段としました。

 

M: 100年あるいは200年前と比べて、バウルの歌い手であることはどのように違うと思われますか?

 

P: そりゃ、その頃に生まれていたらどんなに良かっただろうと思います。少なくとも、情報の波に圧し潰されるようなことは無かったでしょう。今では、精神性だって情報が溢れています。それに昔は、今のように何でも経済の枠組みで捉えるのではなくて、分け合うことのできる社会でした。時間に縛られた「仕事」という概念も無かったし、成功なんて考え方も無かった。その頃のバウルは一つ所に留まることなく旅をしていましたが、政治や経済、社会の変化はバウルの定住化を促し、結果として多くのアシュラムを生み出しました。バウルは元々の農村世界を飛び出して、世界中に広がり、都市の生活環境にも適応しました。

 

M: あなたの音楽は何か特定のメッセージ、あるいは聴衆に感じてほしいことがありますか?

 

P: バウルの音楽を聴くということは、ある精神性の伝統に耳を傾けるということです。それは、境界に縛られない自由な場所で、心の中にある深い愛の経験です。よく、バウルの先達は、「歌にやられる」という言い方をします。たまたまバウルの歌を聴いて、あまりにも心の深い所を揺さぶられて、全てが変わってしまった…そのような人々は少なくありません。私があの、シャンティニケタンへ向かう電車で、バウルの歌に「やられて」しまったように。

 

M: これまでの歌い手としての旅の中で、印象に残っている体験はありますか? 他の場所、あるいは時よりも、より深く感じ入ったことは?

 

P: 私達はいつでも旅をしていて、常に新しい人々に出会います。はい、深く心を動かされた時、人々、出来事はあります。

 

        バウルの先達を探し、学ぶための旅をしていた時、私のもう一人の師匠、ショシャンコ・ゴシャイに私は深く心を動かされました。私は彼が97歳の時に出会いました。3年間、彼の許で修行をして、彼は100歳の時に肉体を去りました。最後に師の許を訪れた時、彼はこれが最後になる、と言いました。すぐに来いと言われて、会いに行った時でした。三日間を共に過ごして、その間に彼は、私に教えた全ての歌を歌わせて、正しく歌い覚えているかを確認しました。三日目の晩、私を近くに呼んで、肉体を去るのだと言って、本当にその晩の内に亡くなりました。彼の知る全ての歌を置き土産に、私自身の最後のその時まで抱えていくように、託して。

 

M: 「バウル」という言葉は、「取り憑かれている」や「狂っている」という意味のサンスクリット語から来ていると言われています。バウルの歌い手になるために、「狂っている」ことは必要だと思いますか?

 

P: こんな美しい歌があります。

 

        「狂っている! 狂っている!

                誰もが私を狂っていると言う

                でも狂っているのは、私だろうか

                それとも世界の方?」

 

 あるいは、バウルの先達によく歌われているこんな歌もあります。

 

        「母さま 私を狂わせて

                常識や知識などもういらない

                狂っている全てが天国に集う

                イエス、モーゼ、チャイタニャ

                皆、神の愛に酔い痴れている

                母さま いつになったら

                私も加われるのでしょうか

                神の愛に歌い踊りながら」

 

        もう一つ、歌を紹介しましょう。

 

        「私の、いかれた心よ

                本当の狂いを見つけられなかったから

                物狂いにはならなかった

                愛というこの世の執着に狂う者

                誉れや見栄に狂う者

                目に見える利益に狂う者

                名声や権力に狂う者

                彼らは何を求めているのかも分かっていない

                己の狂った欲に惑わされて

                本物と偽物の違いも分からない

                本当の物狂いはシヴァ神

                彼は黄金の宮殿を去って

                墓場に座り込み

                いつも神の愛と狂いに酔い痴れている…」